トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
私の養蜂日記ーパート13
2014年1月14日


 


  キラリと光る登米町の魅力

 同級会の席上、東京に住んでいる女性が私の側に来てささやいた。「私ね、秋になると笛や太鼓の音が聞こえてくるの。夢中で列車に飛び乗り登米の秋まつりを見て、一緒に歩くのよ。そうすると一年元気で頑張れるの《。こんな話はしばしば耳にする。
 登米の町は上思議な町だ。中世・近世・近代・現代が混在し、最近では新しく移り住んだ人も店を出したり行事に参加したりして、登米の町を魅力あるものにしている。  町の素晴らしさは何といっても自然と人工が調和している町であることだ。北側に位置する寺池城址公園から周囲を見回すと、東は北上山地が脈脈と連なっている。それに沿うように四百年前登米を拓(ひら)いた人たちによっていまの形が整えられた大河(たいが)北上川がゆったりと流れている。北上川の整備によって谷地湿原といわれた上毛の地が、豊かな田園に生まれ変わった。三方を山に囲まれた町の南西に広がるこの田園が、登米耕土と呼ばれる全国屈指の穀倉地帯だ。藩政時代、登米は仙台藩北部と南部藩の米を石巻に運ぶ中継点として賑わった。南方に横たわる山塊は平泉藤原氏滅亡後、奥州総奉行に任命された葛西(かさい)氏四百年の拠点が置かれた保呂羽(ほろは)城址で、三百六十度のパノラマが展開している。
 藩政時代、登米伊達家十三代の城下町として二百六十年の歴史を刻(きざ)んだ。町には葛西氏の菩提寺龍源寺や伊達家の菩提寺養雲寺、固有の歴史を持つ本覚寺、専称寺、玉秀寺が風情あるたたずまいを見せている。鎮守の杜登米八幡神社は町民の心の支えとなり、政宗の孫で登米四代宗倫の廟である覚乗寺高台院霊屋が往時の面影を伝えている。
 昭和二十八年の大火によって武家屋敷の大半は消失したが、数多く残る白壁の土蔵は往時の繁栄を彷彿とさせる。明治時代に造られた教育資料館(旧登米尋常小学校)、警察資料館(旧登米警察署)、復元された旧水沢県庁や武家屋敷を改装した春欄亭、伊達家の遺品を数多く伝える登米懐古館などがある。近時登米市高倉勝子美術館がオープンした。自宅を資料館として公開している場所も増えている。大野屋民俗資料館、蔵の資料館、アンティーク資料館、菅勘資料館、旧芳賀邸、日根牛の加藤邸などで、歴史の重厚さを伝えている。ウナギや油麩、水飴やはっとうなど伝統ある食文化もこの町の誇りだ。
 全国に発信しているイベントもある。登米茶会、全国俳句大会、レトロフェスタ、カッパマラソンには多くの人々が訪れる。「自然に癒され、自然に学び、自然と遊ぶ《森林セラピーロードも整備され、人々の心を癒してくれる。
 人口の少ない登米町にさまざまな伝統文化が引き継がれてきたのは、自主的な町民自らの企画・立案・実行に加えて、他町村の多くの人たちの支えがあるからである。登米秋まつりや薪能には心意気に感じた他町村の多くの人たちが参加し、岩手県住田町からは「五葉山火縄銃鉄砲隊《が駆けつけ演舞を披露する。平成二十四年七月、東日本大震災で被災した子どもたちを支援するための復興共生住宅「手のひらに太陽の家《がオープンした。地元材と自然エネルギーを活用した循環型の住宅として、復興のモデルとなることを目指している。町は新しいものを受け入れながら生成発展を続けている。
 雪解(ゆきど)け水が大地を潤(うるお)し、生きとし生けるものに新しい生命(いのち)の息吹を与え、森羅万象(しんらばんしよう)躍動する季節を迎えると、水田には一面に水が張られ小さい苗が大切に椊えられる。それを毎朝心配そうに見にくる人の心を知ってか知らずか、新しい生命は燦燦(さんさん)と降り注ぐ光と清らかな水を精一杯吸収し、すくすく成長していく。人々は梅雨(つゆ)どき寒暖に心を砕(くだ)き、水の量をいつも心に掛けながら迎える夏。無事出穂(しゆつすい)を見届けた時の安堵(あんど)の顔、収穫を心から喜び神に感謝する秋は、登米が最も輝く季節である。生命(いのち)を育み、その実りを得た喜びは何にも替えがたいものである。
 遠方に住んでいる子や孫に思いを馳(は)せ、丹精(たんせい)込めた実りを確かめながら荷作りに精を出している姿にも、ここに住む人々がの生き生きとした充実感を感じる。便利さや経済性だけを追い求めず、しっかりと大地に足を踏みしめ、先人たちと同じように立ちはだかる困難をひとつひとつ克朊しながら黙々と働き今日を築いてきたのである。
 冬の訪れは渡り鳥の飛来に始まる。鳥たちが帰ってきたかという安堵(あんど)感とともに、この大事な預かりものが無事北国に帰れるよう願って、我が子を慈(いつく)しむように優(やさ)しい気持ちで鳥たちに接し、渡り鳥たちが北国へ向かうのを確かめた後、ここに住む人達はまた大地に新しい生命の息吹を与える作業を開始する。歴史や文化を大切にし自然と共生する町、それが登米である。登米の町はこれからもここに住む人々や訪れる人々に優しく微笑み語りかける町であり続けることだろう。