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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
私の養蜂日記ーパート14
2014年1月22日


 


  ミスター古希の入選通知

ミスター古希は、定年後の生き方を模索するビジネスマンに対して全国各地から募集する豊かなシニアライフの実例を紹介する、いわば第2の人生の参考書として出版するプロジェクトである。事務局は第一エージェンシー出版部で全国各地からかなりの応募があったようだ。応募作品のなかから優れた50点が選ばれミスター古希として、2014年4月に出版、全国の書店で販売が予定されている。新聞で応募広告を見たのが昨年の12月10日頃で締め切りが迫っていた。
 いままでこのようなものに応募したことはなかったが酒席で、伊達さんがいま一生懸命やっている養蜂のことを書いたらといわれ、よし書こうと決心したのが応募のきっかけである。翌日執筆し、投函した。やっと締め切りに間に合った。遠い昔のことのような感じで忘れていたが、昨日多数の作品の中から選ばれた旨の通知があった。やはり嬉しいものだ。また、執筆の意欲が湧いてきた。
 いまミツバチは藁で囲んだ温かい箱の中で30数度の温度を保ちながら、春の訪れを待っていることだろう。早く春になればいいなー。この3日間雪道が心配なので、毎朝5時半車で家をスタート、10分後三陸自動車道登米インターから高速に入り6時50分仙台港北を通過し東部道路へ入り岩沼インターで国道4号に出る。それから20分柴田町にある仙台大学に到着する。片道1時間40分。ほとんどが高速道だから余り疲れは感じない。
 火曜日は午前2時限90分、水曜日は2時限、3時限それぞれ90分。歴史と人間をテーマに講座を担当している。来週はテストである。230人分のテスト用紙を印刷した。毎回レポートを出させており、それを家で見て点数をつけている。230人だから目を通すのは大変だが、いまの若い人たちの考えや感性も知ることができるから新しい発見もある。学生もよく教師を観察しているものだ。油断大敵、こちらも何時も身構えていなければならない。鎧袖一触の気持で学生に接しているが、私を見つけると走ってきて話しかけてくる学生も多いのでこちらも若い気持になれる。仙台大学の学生の笑顔にはかげりはない。これは大切なことだ。
 前期に担当した台湾の女子学生は9月に帰国し、台東大学4年生に進学した美術専攻の女子学生である。心をこめた手づくりの美しい民芸品を送ってよこした。彼女は、台湾の大学で美術を学んだ後、大学院に進みその後日本の大学院に進学したいと話していた。3人の台湾の学生が受講していたが、講座の終わった後、昼食をしたり、時間のあるときは蔵王、山寺、平泉、松島・塩釜、宮城県図書館、美術館、お茶席、阿武隈下り、斎理屋敷、角田高蔵寺などを案内した。東日本大震災の時、台湾あげて日本へ支援してくれた私のせめてもの報恩の証だ。登米の家には4人招待し、北上川や日本の原風景を存分に味わってもらった。台湾の女子学生余亭儀さんの挙措動作や話し方は、まるで40年前ぐらいまでの古き良き時代のかっての日本女性を見るような気持がした。中国と異なり台湾の人たちは礼義作法、挙措動作、謙虚さは、かっての日本の良いところをまだ存分に残していると感銘を受けた次第である。きちんとした国家感ももっており、台湾の将来のことを心配していた。
 彼女に日本人のなまえが欲しいと言われ、晴子となまえをつけてあげた。送られてきたなまえを見たら伊達晴子と記されその下に余亭儀と台湾のなまえが書かれていた。よほど晴子という日本のなまえをつけてもらい嬉しかったのだろう。台湾に来てくださいと言われ約束した。一度は行ってみたい国だ。また彼女の成長を見たい気持ちもある。時々メールが来るが、日本語の文章もどんどん上手になっている。かっての日本の若い人たちのように猛烈な勉強振りが伺える。台湾は一番日本に身近な大切な国である思う。仙台大学に留学中、彼女は手話、着物の着付け、ボランティアなどいろいろなことにチャレンジしていった。見習いたいものである。昨年秋、台湾にハチミツを送るのは難しいのかなと思い、郵便局に相談したら何の問題もなく送れ喜んでもらえた。春ハチミツが取れたら真っ先に台湾の娘に送ろうと考えている。台湾にも可愛い娘がいることは心豊かにまた視野も広くなるものだ。