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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
家を守るということパート1
2016年1月4日


 


  忙しい日々
 今年は暖冬の中でお正月を迎えた。私と妻に加えて遠くにいる息子と娘が帰省した。山の中の一軒家でコロという柴犬1匹との生活ではあるが結構忙しい日々を送っている。昨年12月いま勤務している仙台大学の留学生12人の訪問を受けた。理事長や職員も含め23人であった。学生はドイツ、ベトナム、台湾、中国の4カ国の12人である。目的は日本の文化や伝統に身近に触れるということでの企画であった。そのため大々的に私の家の大掃除をやった。上要な物は思いきって捨てた。建物はおよそ350年前の建物なので、物を整理するにつれて次第に日本家屋の素晴らしが私にも感じられた。4代館主伊達宗倫の廟(宮城県指定有形指定文化財)も屋敷内にあるので清掃した。三間四方の建物だ。やはり私の現在済んでいる時代と同じ時代に作られたのので350年は経過をしているだろう。方3間、前面に向拝及び縁側をつけている。素木造、床板張、屋根は宝形造、こけら葺。内部は、須弥壇の上に壮麗な家形厨子を置き、須弥壇の床下に石畳の墳墓を設けている。禅宗様式の簡素堅実な技法を示し、厨子は極彩色を施し精巧である。松島の圓通院霊屋とともに仙台藩霊屋建築の秀作とされている。 さて私の家の部屋には幕末から明治初期の漆器や家具、簪(かんざし)、打掛などを展示して直に手に触れ親しんでもらった。その後町内の旧登米尋常高等小学校、懐古館、北上川を見物してもらい、最後に旧武家屋敷・春蘭亭でお茶を飲んでいただいた。茶道のいったんや日本文化の神髄に触れてもらったと自負している。  この過程で私は大事なことを感じた。私が県庁に入ったころはこんな家はどこの町にもあったと思う。いま周囲を見てもそんな家はほとんどなくなってしまった。このままで良いのだろうか。日本人として一番大切な心の原風景が失われ、世界の人々と同じようになってしまうのではないか。この時私は残された時間は日本の原風景を正しく伝えるために献げようと誓ったのである。  3月には中国の人たちが10人ぐらい訪れる予定である。そんな人たちを出来るだけ受け入れ日本を知ってもらう大きな機会になればと考えている。このお正月は家にある物を整理するため膨大な時間を与えてくれた神様の贈り物だと感謝している。1月下旬には『朴沢学園の創始者・朴澤三代治伝ー近代日本女性の地位向上に貢献ー』が丸善から出版される。資料を精査して取りまとめたものである。引き続いてバックデータの整理作業に取り掛かりたいと考えている。思う存分好きな仕事をさせていただいているのは私は恵まれていると感謝の気持ちで一杯である。今年は中断していた執筆活動を加速させたい。