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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
家を守るということパート3
2016年2月16日


 


 
 私は昭和20年7月31日に生まれた。敗戦記念日8月15日より2週間前である。仙台空襲のあった日は私の生まれる4週間前であるが、70キロ以上離れた私の家のある小高い丘から、赤く染まる仙台の燃えさかる光景はすぐ身近に見えたそうである。両親は弟夫妻や甥達のいる仙台空襲の情景をどんな思いで眺めたことであろうか。
 それから70年以上が経過しているが、今の日本の現状を見ると当時のアメリカの先を見通す力には、驚くばかりである。昭和20年5月連合国を率いたアメリカのルーズベルト大統領が死去した。時のナチドイツ総統ヒトラーはルーズベルト大統領を罵倒する声明を発表した。それに対し日本の鈴木貫太郎首相は同盟通信社の短波放送を通して、「私は日本国民を代表し偉大な米国大統領の死に対し、心から弔意を表します《という声明を発表した。これを見たアメリカ人は驚愕し、このままでは日本は再び強国になる、そんな思いから戦後の日本教育の中から歴史や道徳、倫理教育が軽視され今日にいたっている。その効果はいまの首相や国を預かる大臣や国会議員、多くの首長の軽薄な顔や話しぶりにも現れているのではないだろうか。アメリカの慧眼ともいえるのだろう。政治家と云われる人々に信頼感や安心感、教養や真のリーダーシップを感じる人がどれほどいるだろうか。見識のある経済人がどれ程いるだろうか、残念でたまらない。
 一方、今こそ原点に立ち帰るべきではないだろうかという思いも持っている。
 私は山の一軒家に住んでいる。寛文12年(1672)に建てられた家なのでもう340年は経過をしているが、本体部分はがっしりとして東日本大震災の時も花瓶ひとつ落ちなかった。ただやはり明治以降から継ぎ足した部分は痛みが出てきている。また母の介護をしやすいように施設で紹介してもらった仙台の業者が使用した新建材からシロアリが蔓延、古い部分の一分も犯され駆除するのに一苦労したが、本体部分は何とか守ることが出来た。昭和50年代新しく作った台所や風呂はもう完全に傷んでしまった。完成して間もなくコンクリートに亀裂が入り、アリが自由に出入りしもう限界である。
 その後20年以上前岩手県気仙郡住田町の気仙大工さんに2階建ての子供部屋を作ってもらった。床は栗財、あとは東山の杉材で節目ひとつない材木を使用したので、今も綺麗で頑丈で東日本大震災でも全く影響がなかった。いろいろ考えた末、気仙大工さんに建築を依頼することにした。
  この周囲を見渡してもみな新しく新築した綺麗な家で、古色蒼然とした家は私の家だけとなった。でも今の新建材の家は新築したばかりの時が最高で後は傷んでいき、30年もたてば目もあてられないようになってしまうのではないだろうか。その意味からも気仙大工さんにお願いしたのは長い目で見れば正しい選択だと考えている。古きよきものは出来るだけそこなわないように維持していくことが私に課せられた責務なのだろう。子供達の負担を少しでも少なくするための決断である。