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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
家を守るということーパート4
2016年8月27日


 


 
 長い間の懸案事項であった古屋の改修と台所を中心とした水場の新築工事に7月7日に着手した。
 台所の解体作業、公共下水道への配管工事が先ず始まった。仮設の台所は100年以上前に父が養蜂の作業場・事務所として建てた場所を利用することにした。解体作業や公共下水道工事に携わった人たちは地元の若い人たちであった。皆精悍な顔立ちをしててきぱきと作業をしていた。25歳の若い女性もいたが活き活きと仕事をしていた。例年と比べると暑い日の連続であった。辞退されたけれど10時と3時には軽い食べ物と飲み物を提供した。私がいる時は会話にも加わり健全で前向きな生き方をしている若い人たちの会話に耳を傾けた。大企業と事なり信用が第一の彼らにとってはどんな仕事でも真剣勝負なのだ。だからかなり仕事も回ってくるのだろう。
   これらの一連の作業が終了した後、岩手県住田町から基礎工事のため火の土左官工業が片道2時間半かけて登米に通ってこられた。見ただけでも頑丈な基礎が出来上がった。そのあと住田町の中舘工務店が建築に取り掛かった。気仙沼市での渋滞を避けるためかなり早く住田町を出発しているとのことだ。今は屋根の組立を行っている。予定では台所の工事は8月末で終え、9月には古屋の改修だ。江戸初期の建物で明治40年代伏見宮様の侍従通訳官をしていた祖父寧裕が東京から登米に移り住んだ時に、人が立って通れるほど高かった床下を低くし、茶室風な改装を行って以来の修復である。材料は創建当時370年前のもので金華山から運んだと伝えられている。中は漆塗りなので狭いながらも風情を感じられる建物だ。後から継ぎ足した部分が痛み出してきたので改修に踏み切った。ただ離れ座敷に行く廊下と玄関は新しくしなければならない。今度手を加えておけば100年ぐらいは大丈夫だろう。
   これに併せて家にあるもの整理を始めた。明治以降何も捨ててこないので膨大な量だ。愛着を感じるが次世代になれば困ることにもなるだろうから、価値のあるものだけを残して処分しようと考えている。残ったものについては目録を整備し、必要なものは写真に紊めておこうと思う。こうしておかないとこれを引き継いでいく者が困るだろうと思うからだ。壮大な計画を実現するためには健康が一番大切である。ミツバチの箱は今は15箱で、採蜜も順調だ。先週はNHK放送「サンドイッチマンの天使の作り笑い《で「伊達家のハチミツ《として紹介された。スタジオから直接取材の電話が入り、スタジオでは試食していただいた。養蜂事業は順調に推移している。
 残るは『朴沢学園の創始者 朴澤三代治伝』のバックデータ(朴澤由雄氏文書)の整理と朴沢学園裁縫教育資料調査の担当部分の調書の作成だ。明日は茨城大学の教授が留学生2人を含め5人の学生を連れて私の家に来る予定である。日本の文化に触れさせたいとのことだ。ミツバチの箱の周辺には天敵のスズメバチが訪れるようになった。防衛システムを確立し撃退しようと思う。