トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
仙台四季彩々ー 山元・亘理・岩沼・名取のいわれ
2004年2月28日


  
 山元町は、1955年(昭和30)2月坂元村、山下村2村が合併し町制を施行しますが、旧村名から一字づつとったものです。江戸時代には、外国船監視のため唐船番所が本郷磯に設けられました。
 亘理町は、1955年2月亘理町、荒浜町、吉田村、逢隅村の2町2村が合併して成立しました。町名は阿武隈川の渡しに由来があるといわれています。江戸時代伊達一門の城下町として栄えました。亘理と山元は大変温暖な気候に恵まれ、東北の湘南ともいわれています。また、景勝地鳥の海でも知られています。
 岩沼市は1955年岩沼町と千貫村・玉浦村が合併し、71年(昭和46)市政を施行しました。武隈館の城周りの沼を岩沼と称したことに由来するといわれています。陸前浜街道の分岐点の宿場町、竹駒神社の門前町として栄えました。
 名取市は1955年増田町・閖上町と下増田村・館越村・高舘村・愛島村が合併して名取町となり、71年市政を施行しました。ヌタトリ(湿地)にその根拠があるといわれています。雷神山古墳など多くの古墳があり、平安時代には熊野三社が勧請され、熊野信仰の中心地として栄えました。
江戸時代、増田には奥州街道の宿駅が置かれ、閖上は名取川水運と貞山堀運河の要地として重きをなしました。