トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
2004年10月12日


  
 私たち日本人は、古くから山の彼方には見知らぬ豊かな世界が広がつていると信じ、いつの時代も山の彼方にあこがれ、山を越えようとしました。物資の輸送や信仰、さらに戦争のため山を切り拓き、道を取り付けてきました。こうした営々とした営みの中で「峠」が誕生したのです。峠という字は漢字ではなく「山の国」日本人の感性がつくりあげた会意文字です。
 峠を越えることは未知への旅立ちであり、自分と家族や故郷との別離を意味し、常に危険と隣り合わせであり、無限の可能性へ向けての第一歩でもありました。
 峠に立つと、今までとは違った景色や風に出会うことがあります。峠を越えることは見知らぬ国へ足を踏み入れることであり、さまざまなしがらみから自らを解き放すことであり、「心の転折」を得る場でもありました。
 いま峠は、新しい道が造られトンネルが掘られることによって急速に姿を変え存在意義を失い、過去のものとなりつつあります。しかし峠は、それぞれの時代、さまざまな歴史を積み重ねかたちつくられてきたのです。 峠は、これからもその時代時代にふさわしく装いを新たにしながら、私たちに限りない夢と希望を与え続けてくれるのではないでしょうか。
 日々の喧噪の移ろいのなかで、身近にある水界峠や羽沢峠などに立って、新鮮な風に当たり「心の転折」を図ることも、ときには大切なのではないでしょうか。
周防なる磐国山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道