トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
時代を拓くー先人の叡智に学ぶ
2005年5月7日


 
  
 先日、岩手県水沢市を訪れた。水沢は幕末の先覚者高野長英、先見の政治家後藤新平、孤高の政治家斎藤實の生誕地として知られる。
 三人の生家はよく手入れが行き届き、地元の人たちが彼らをいかに敬愛しているかが伝わってくる。記念館はいずれもこの町にふさわしい規模で展示品も体系的に整備され、観光を意識する以上に、それぞれの功績をしっかりと伝えていこうとする心意気が感じられた。激動の世を先導した偉大な三先人をしのびつつ、新しい時代を切り開くには何が大切なのかを考えてみた。
 高野長英は、幕府の鎖国政策を批判した罪で蛮社の獄に連座し、無期禁固の判決を受けた。獄中で郷党にあてて「蛮社遭厄小記」を著し、自己の無実を訴えるなど不屈の姿勢を堅持している。脱獄後は全国各地を転々とし、逃亡先でも飽くなき探求の証を示した。四国宇和島に潜伏中彼が五岳堂と名付けた学塾では、彼の筆による次のような学則が作られた。
 「学問の道は、水のしずくが石をうがつようにせよ。西洋の書物たるや(中略)朝に夕にこれを習い誦したならば、解明できないということはない。学徒はただ勉めに勉めよ。途中で解らないといって自暴自棄になってはならない」と説いている。江戸で幕吏に襲われ、所持していた脇差しで自らを刺し、四十七歳の生涯を閉じた。彼を支えたのは一途な真理への探求と愛国心であったと思う。
   後藤新平は斎藤實とは竹馬の友であり、各分野で輝かしい業績をのこしている。政界引退後は、少年団日本連盟(現在のボーイスカウト)の初代総裁として「自治三訣」をとなえた。「人のお世話にならない 人のお世話をする そしてむくいをもとめぬよう」。この精神は少年の心を説く信条として、今に引き継がれている。
 斎藤實の記念館では二.二六事件の凶弾に倒れた際の血染めの衣類や銃弾に打ち砕かれた鏡台が展示され、見るものの心に生々しくその時を再現させる。夫人が「撃つなら私を先に撃ちなさい」と實の前に立ちはだかるのを押しのけられ、一〇七発中四十数発の銃弾を浴び絶命した。経済恐慌克服のため「自力更生」という高い理念を掲げた日本の良識を銃弾は抹殺したのである。  回顧談には「わたしは決して、偉い人間でも何でもないんだ。全く凡人に過ぎない。ただ何事も一生懸命努力してやってきたつもりだ。そうしているうちに、いつか世間から次々とドエライ椅子に押し上げられてしまったまでだ」と記している。
 三先人に共通しているのは、国家的な視点でものを見て考え、果敢な決断に基づきそれを実行したことである。まさに血のにじむような努力をしながらも、謙虚さを失わず郷土を愛し後進を育てた。このような先人の生き方に接した子どもたちのなかから志の高い人たちが育ち、新しい日本の国を創りあげていくことだろう。
 いま大切なのは、次代を担う人たちに優れた先人がいかにしてこの国を創りあげてきたかを、しっかりと伝えることではないだろうか。それが日本の国を再生させる確実な近道といえる。
(これは平成17年1月11日付河北新報定期論壇へ執筆したものです。)