トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
先人の叡智ー閉塞感打開のヒントに
2005年5月21日


 
  
 江戸時代草創期、幕府や各藩の国づくりにおいて、政(まつりごと)をあずかる人達がみせた見識は、今もなお光彩を放っている。長く続いた戦乱の状態がどれほど人々に塗炭の苦しみを与え、貴重な伝統文化を破壊し、心までも荒廃させたかということを、彼らはしっかりと認識していたからである。その認識が二百六十余年にわたる幕藩体制を築き上げる原動力になった。世界に例をみない泰平の世は、さまざまな分野の芸術文化を高め、日本人の心を豊かに育んだのである。
 その礎を築いた徳川家康は、風流や趣味のためではなく、国を治める理論や倫理としての学問を重んじた。唐の太宗と群臣との政治論議を編集した『貞観政要』などに着目し、治国安民を理想とする主旨から政治上のヒントを得ようと努めた。治道の規範として政治家の必読書とされたこともあり、執政に関わる者たちにも読むことを勧めた。したがって家康は学者を大切にした。なかでも林羅山の信奉する朱子学を採り入れ、これを育成する土台をつくった。朱子学は社会秩序を固定的な、自然的なものと考えるところに特徴があり、宇宙の原理を論じ、階級の必要性も説いた学問である。この教義は現代には当てはめることは出来ないが、天下を掌握した家康にとって、これは都合の良い教えであった。羅山は将軍の顧問として徳川四代の長きに仕え、幕府の典礼と文化を重んじる礼文政治をかたちづくることに貢献した。
 体制強化の牆壁(しょうへき)としての朱子学は、結果的に学問を普及させ朝野に多くの知識人を生んだ。この知識人こそ、後の幕末維新の黎明期において、西欧文化を適切に消化し、日本の近代化を進める原動力となった。
 さて、いま私たちを取り巻く社会の環境は殺伐とした閉塞感が漂っている。次代を担う人達が職を得られず、子育てにお金がかかる世代の人が不本意に職を奪われる。一方海外には、支援や協力のためとして多額の金額が注ぎ込まれていく。日本人が営々と築き上げてきた技術が無造作に流出し、それが我が国に逆流して日本を苦しめている。加えて多くの人が老後の生活設計すら描けない。
 この責任は国政をあずかる者にある。国民に希望の持てるビジョンを示せず、政権の座をめぐって右往左往している。そのため国の活力が方向を見失い、結果的に国民に不安を与え、国勢衰退の危機に導いているのである。憂慮に手をこまねいている政治家は、国体の安定を図り、泰平の世を目指して国難を乗り越えた先人達の叡智に学ぶべきである。封建時代に戻れというのではない。過去のものと受け流さず、治政の手本とされた書物にも目を通して、再生方法を模索するのも無駄ではない。国をあずかる指導者としての置かれた立場や責任の重さをわきまえ、国民の信頼を得るように身を正す努力をせねばならない。総合的な学問を通して、一人一人の幸福を守る能力を身につける気概で臨んだなら、自信と誇りをもってこの国のありようや進むべき方向、国民の将来の生活像を目に見える形で示すことがでるのではないだろうか。
 藩政時代及び明治草創期の指導者達には、国民に夢と希望を持たせる国家戦略を描き、実行する見識と心意気があった。
(これは平成17年3月5日付河北新報定期論壇へ執筆したものです。)