トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
美しい言葉を次代へ
2005年6月2日


 
  
 古くから日本人は、農耕民族であった。山河を敬い、真摯に山に向き合えば山も人に向き合い、岩に語りかければ岩もまた人に語りかけると信じられていた。大自然に限り無い畏敬や慈しみの念をいだき、大切にするすべを知っていた。
 木や草を素材とした家に住み、紙一枚の障子で外と接する生活においては、あるがままの自然にふれることが出来たのだろうと思う。
 春告げ鳥の声に、咲きこぼれる花の影。蛍のかそけき光のあとは秋草にすだく虫の音(ね)。そして雪明かりと、季節の訪れの一つ一つを情感豊かに受けとめながら過ごしたことだろう。  日本人はまた、月を見てその動きに合わせ生活を営んできた。月に関心をもち、いにしえから今日まで、月を題材にした作品が目にとまる。『竹取物語』はその代表的なものだが、和歌や俳句などにも数多く見られる。それらは自分の思いを託し表現する手段として、あるいは教養やたしなみの一助として自然を愛(め)で、天空に輝く月を心にもかかげていたのであろう。  そのような日本人に対し、西欧人は遊牧民族である。野営の草原で光を散りばめたような夜空を仰ぎ、星に限りない思いを寄せた。なるほど西欧のものの考えは、星にもとづくとらえ方が多い。この星の文化ともいえるものは、十五世紀に始まる大航海時代を生み、果敢に大海原に船を乗り出し、次々と世界に植民地を広げていった。
 話をまた日本に戻すと、月のみならず四季ごとの風情に心理描写までも織り交ぜながら、きめ細やかにしたためられた我が国の文学作品は、『源氏物語』や『枕草子』をはじめ、一千年以上にわたり伝えられてきた。『古今和歌集』や『千載和歌集』など歌集も多数ある。
 しかもその時代時代の文学をジャンルとして語れる文化をもつということは、同時期の外国と比較して誇れるものである。
 さらに、それぞれの芸術分野に新たな息吹を与え、高度に昇華させた発展性は誰もが認めるところである。能や歌舞伎・茶道・華道など、数え上げればきりがない。
 日本という美しい国と、そこに築かれた歴史や伝統文化は、幕末から明治初期に我が国を訪れた人々に深い感銘を与え、次第に西欧の文化にも少なからぬ影響を及ぼすことになった。
 しかし今、周囲を見回せば日常会話からして、心の琴線にふれるような美しい言葉にハッとする場面がなくなってきているように思う。
 日本が世界に誇る古典文学も日本語の美しさも、我々自らの意識の中で、影が薄くなっていくのは残念なことだと思っている。
 そのような昨今だが、ここで身近な話題をあげてみたい。宮城県図書館において「書評でたどる考現学」という公開ゼミナールが開催された時のこと、近くの高等学校放送部の生徒による『平家物語』などの朗読を聴かせてもらった。しみじみと胸にしみ入るような音韻の響きに、あらためて日本語の美しさを再確認する思いだった。
 今後もいろいろなかたちで、日本人が育んできた優れた独自の精神性や流麗な言葉など、大切に考えていきたいものである。
 世界に通じるかけがいのない文化、美しい言語として。
(これは平成17年5月7日付河北新報定期論壇へ執筆したものです。)