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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
伝えたい職人の技
2005年6月10日


 
  
 日本人は古くから歴史や伝統文化を重んじ、時の流れの中で得られた美しい様式や技術などを、さらに洗練されたものに発展させてきた。その背景には職人と呼ばれる人達の、各分野における長年にわたる技能的貢献があった。
 かつてどんな小さな町や村にも大工や鍛冶屋、畳職人、表具師、仕立て人、機織(はたおり)屋などが看板を守り、個性豊かに活躍していた。厳しい徒弟制度のなかで心と技が伝えられ、時には技量を競い高め合いながら連綿と引き継がれてきた。なかでも秀でている職人は名工として、社会的にも高い評価を受けた。明治以降の急速な近代化や戦後の高度経済成長を支え、技術大国日本の基層を形成したのは、一朝一夕にしては絶対に得られない、確固とした技術者達の心と熟練した技があったからといえる。
さて私が住む町は藩政時代城下町として栄えた。幼い頃に思いを馳せれば、前述の職人達はもとより、加えて船大工や鉄製品の工芸家などが自信をもって地域を活気づけていた。彼らが手腕を発揮した後には北上川に船が浮かび、漁で得た恵みが豊かさをもたらし、また、松笠をかたどった風鈴の音が人々を憩わせ、鉄瓶は暖かい生活の一助になった。
 私の家の屋根の葺き替えた時の事、大きな茅葺(かやぶ)き屋根が大勢の職人の共同作業の中で手際よく葺き替えられていった。完成して家でささやかな宴を催した時、職人達は誰から始めるともなくさりげなく謡曲を謡い、祝儀の仕舞を舞った。ほのかな灯りに照らされたその幻想的で情景は一幅の絵のようで、今も鮮やかに想い出される。鍛冶屋にナタの修理を依頼したこともあった。店主は懐かしそうにそれを眺め、誇らしげに祖父の製作であることや、自分がまだその域に達していないと謙虚に語ってくれた。時計の修理の際には緻密な作業に神秘を感じ、心を踊らせながら見入ったものである。家の改築時には棟梁が自ら木を選定し、太い丸木を無駄なく製材、丸木の一本はそのまま通し貫に使う名人芸に感心させられたことも忘れられない。このように身近で様々な技が発揮され、地域社会を元気づけながら、子供たちにも夢を与え、豊かな心を育んでいたのである。
 だが最近のこと、祖先を祀る廟の鍵が壊れたので同じものを作ってもらおうとしたが、すでに鍛冶屋はなかった。そればかりではなく改めて周囲を見回すと、かつては身近に住み、特殊技能をもって応えてくれた人達はほとんどいなくなっていた。小さな町工場や作業場で磨かれてきた伝統に裏打ちされた素晴らしい技法、日本人だからこそ出来た研ぎ澄まされた感性の技が、どんどん失われて行くのは非情に残念なことである。さらに、近年は我が国の優れた技術が無造作に海外に流出している。このままでは日本の国の拠って立つ一番大切な基盤を失うことになるのではないだろうか。有用な物づくりや無駄にしない精神こそ、資源の少ない日本が他に誇れる貴重な財産であることを再認識せねばならない。最先端の技術をさらに進化させることも必要であろうが、それが全てに代わるほど万能に結びつくとは思えない。
 長い時を費やして得られた優れた技術を持つ職人の心と技をこれまで以上に大切に受けとめることが、伝統的文化の維持や今後の発展に必要不可欠である。どのような形で次代に伝えていくかを長期的視点で考えることは、地域的な枠を越えた優先すべき国家的な課題でもある。
(これは平成17年6月7日付河北新報定期論壇へ執筆したものです。)