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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
史都に刻んだ吉田松陰の想い出
2005年6月24日


 
  
 長門国萩(山口県萩市)生まれの幕末の思想家吉田松陰(一八三〇〜五九)は、国家大計の指針を見つけだすため真冬の東北を旅し『東北遊日記』という旅の記録を残しました。二二歳の松蔭は「東北地方は東は満州に連なり、北はロシアに隣接する。国を治めるのには最も重要なところであるが、自分は一歩も足を踏み入れたことがない。この機会を逃せば後に悔いを残すことになるだろう」という憂国の思いを胸に秘め必死の覚悟で東北を旅したのです。
 一八五一年(嘉永四)一二月江戸を発った松陰は、白河から東北に入り会津若松、新潟、佐渡、庄内、本庄、久保田を経由して、日本海を碇(いかり)ケ関(青森県)に出て弘前、小泊(こどまり)へ至り、三月三厩(みんまや)へ到着。帰りは奥羽街道を盛岡、石巻、松島、塩竃、多賀城、仙台、会津に入って江戸に戻っています。現地を見聞して幕府に北方問題の進言をするため、厳寒の東北を徒歩で巡った旅日記です。松蔭は江戸で佐久間象山に洋学を学び、常に海外事情に意を用いました。一八五四年(安政一)米艦渡来の際、下田で密航を企てて投獄、のちに萩の松下村塾で子弟を薫陶しますが、安政の大獄に座し江戸で刑死しました。
 一八五二年(嘉永五)三月五日松陰は小泊から算用師(さんようし)峠を越えて竜飛岬を訪ね、海峡を航行する外国船を見て、北方防備の必要性を痛感、一詩にそれを託しました。
  去年の今日巴城(萩城・ゆうじょう)を発し、
  楊柳(ようりゅう)風緩かに馬蹄(ばてい)軽し。
  今年北地更に雪を踏み、
  寒沢(さむさわ)卅里路行き難し。
  行き尽す山河万の夷険、
   滄溟(そうめい)に臨みて長鯨を叱せんと欲す。
  時平かにして男児空しく慷慨(こうがい)す、
  誰れか追はん飛将(ひしょう)青史の名。
 海浜に出づ、これを三厩(みんまや)と為す。俗に伝ふ、義経松前に騎渡するにここよりとする。戸数百許り、湾港は舟を泊すべし。松前侯の江戸に朝(ちょう)するにも、舟に乗りてここに到る。今別(いまべつ)を経(ふ)。戸数湾港、また三厩と相類す。大泊を経て上月に宿す、戸数僅かに一七、八のみ。行程八里。小泊・三厩の間、海面に斗出するものを竜飛崎(たっぴさき)と為す、松前の白神鼻(しらかみのはな)と相距ること三里のみ。しかれども夷舶憧々(どうどう)として其の間を往来す。これを囗側(とうそく)に他人の酣睡(かんすい)を溶(ゆる)すものに比(くら)ぶれば更に甚だしと為す。いやしくも志気ある者は誰れか之れが為めに切歯せざらんや」。
 三月一二日盛岡を出発した松陰は、石取を経て花巻、黒沢尻、鬼柳、水沢、平泉、一関、登米、柳津、飯野川、石巻にいたりました、石巻では日和山から周囲を眺望しました。また、一関から石巻にいたるまで田野は肥沃にして道縦横に走っていると記しています。
 三月一七日に矢本に到着しました。広大に広がる原野は土質も良く、開墾すれば美田になるだろうという印象を記しています。鳴瀬町小野を通って舟で鳴瀬川を渡り、近道を通って富山へ登りました。「富山に登る。山上に寺あり。松島を望みて一に遺すなし。秋天のときは、富士山を末の位に見る。故になづくという」と記しています。高城では良い杉山を近くの海では塩田を見て松島から舟で塩竈に向かいました。塩竈で一泊しますが、夜は雨が降ってきました。
 一八日は、朝は小雨でしたが次第に晴れわたってきました。まず陸奥の国一宮塩竈神社を参拝、明応六年に鋳造したと伝えられる古い鐘を見、仙台藩主が献上したという神馬を見ました。藩主が在国中は祭事の時には必ず訪れるという神社です。仙台領においては、売春が固く禁じられていますが、塩竈・石巻は船舶の往来するところなので、許されているなどの話を聞きながら、午後二時頃、多賀城市川にいたりここで多賀城碑を見て、次の詩を作りました。
  多賀古址(こし)古碣(こけつ)を尋ね
  蝦夷(えぞ)靺鞨(まつかつ)字なお新たなり。
  憶(おも)う昔朝廷遠図を壮(さかん)にし、
  胡(えびす)を呑むの気象百蕃を懾(おそ)れしむ。
  千余年後往時を問えば、
  空しく男児をして涙巾(きん)を沾(うるお)さしむ。
 感慨にひたりながら今町(仙台市内今市)・燕沢を通り過ぎ弘安五年建てたと伝えられる碑文を観ました。怪奇な文字で読むことができません。伝えによれば、鎌倉円覚寺の開山元(無学祖元)が蒙古戦没者のためにこれを建立したといわれています。敵国の戦死者を祀ることをはばかつたのでしょうか。そんな想いを胸に仙台では養賢堂で塾生らと時事を論じ、江戸への道を急いだのです。松陰が安政の大獄で刑死するのは多賀城を訪れた七年後、二十九歳の時です。