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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
陶の華ー炎と咲きてー辻輝子物語
2005年7月31日


 
  
  宵山の祇園囃子の笛太鼓もの思う夜の耳に聞こゆる

 川端康成の『古都』の一節ですが、夜ともなると小さな町の片隅から、秋祭りの準備の練習の笛や太鼓の音色が微かに聞こえてくる、そんな季節を迎えました。
 牛山剛先生この度は「陶の華、炎と咲きてー辻輝子物語」ご出版、心からお祝いを申し上げます。このご本の主人公でもあります、辻輝子先生、そしてそれぞれの章ごとに美しい詩を添えられた星乃ミミナ様に心からお祝いを申し上げます。
 女流陶芸家の草分けともいえる辻輝子先生の六十年の陶芸活動とユニークな人生、数々のエピソード、魯山人、岡本太郎など一流の芸術家との出会いと新鮮な衝撃のなかで、ご自身を最高度に昇華させていかれた辻輝子先生の、炎のような華麗な半生を見事に描ききった作品であります。牛山剛先生ならではの、豊かなご見識と研ぎ澄まされた感性に裏打ちされた作品であります。多くの人びとに読まれますこと、祈念申し上げます。
 私は牛山剛先生、辻輝子先生には、仙台在住の詩人星乃ミミナ様からご紹介賜りました。ミミナ様は戦争のない平和な一つの地球をテーマに、「アジア少年少女愛と夢のコンサート」をはじめ多彩な活動を世界に向けて発進されておられますが、ミミナ様のコンサートは全て牛山先生がプロデュースを担当されておられます。昨年も仙台で辻輝子先生を囲み「陶の華コンサート」が開催されましたが、ミミナ様が中心となり企画、牛山先生がプロデュースされています。
 コンサートや打ち合わせの後、牛山先生を囲んで懇親の場が持たれますが、何時も牛山先生は私たちの話にジッと耳を傾けられ、時には温かい指導助言を賜っております。色々な形で先生には私どもお世話になっておりますが、私も本を出すきっかけは先生からのお話でありました。一字一句筆を加えていただき最終校正までしていただきました。その時先生から言われたお言葉は「最初に本を出すことは大切なことなので、責任を持ってきちんとした本を出されるように実績のある高い評価を受けている出版社から出すように」とご紹介いただいたのが、本日の本を出された踏青社の斎藤様です。誠心誠意立派な本を出していただきました。多くの皆さまが色々なかたちで、先生からお力添えをいただいているのではないでしょうか。
 さて、日本近代黎明の時代真摯に重責を果たされた明治天皇はすぐれた数多くの和歌をのこされています。君主として語れぬ心の内を和歌にとどめたのでしょうか。その一つに、

  あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな

という和歌をのこされています。ないだ湖の面のように何時も平らかな自分でありたいというお心の内を詠まれた和歌ですが、まさに牛山先生は何時も平らかな湖の面のように私どもに接しくだされ、また温かいご指導いただいています。
 また明治天皇の和歌に、

  国民のおくりむかへて行くところさびしさ知らぬ鄙の長みち

というのがあります。どんなに疲れていようと、さびしかろうと多数の国民の温かい送迎に接すれば、そんなことはすぐ忘れてしまうという和歌ですが、辻輝子先生、そしてミミナ様を支えているのは多くの人びとに感動を与え、喜び感謝されていることが次なるエネルギーに結びついているのではないでしょうか。
 3人の先生方をご紹介しましたが、先生方の生き方には共通したものがよみとれるので 800年前、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は隠岐に配流されますが、隠岐で詠まれた和歌、

  われこそは新島守よ隠岐の海のあらき浪風心して吹け
 
逆境のはて、傷心のきわみにあって、まさに「治天の君」の気迫に満ちています。折口信夫がこの詠いぶりを「至尊風」と評しましたが、まさに至尊風の力を示して、余人には真似の出来ない詠いぶりであります。
 牛山剛先生、辻輝子先生、星乃ミミナ様の今日までの生き方は、余人には真似の出来ない気迫に満ちた生き方であります。
 先生方におかれましては、どうぞこれからもご健勝でさらなるご活躍をくだされますとともに、私どもにはその生きるお姿を通してさまざまなことご教示賜りますよう祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。
平成17年7月30日 伊達宗弘  (東京 ホテルオークラで)