トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
書評・伊原政江著『猫峠』
2007年7月15日


 

 会津は、私の一番好きな地方です。会津魂、戊辰戦争の悲劇もありましたが、藩祖保科正之の精神を最後まで体現、明治維新以降も勝れた人材を数多く輩出してこられた重厚な歴史を積み重ねられてこられました。そこでお育ちの朝子さまには格別の思いもおありのことと存じます。
  飯豊山梅雨の晴れ間にそびえけり
  私は若い頃、東北の数多くの山を登攀しました。宮城の人間は蔵王山や栗駒山を身近に見て育ちますが、いずれも山の頂からは田園や人家など人の営みが視界に飛び込んできます。しかし飯豊山に登ったときは正直その壮大なスケールに驚きました。蔵王や栗駒とは全く比べものになりませんでした。飯豊山の大きさを実感しているので、この句からは荘厳な飯豊山の山容、迫る迫力を感じました。
  潮風や雄島に霧の供養塔
 松島は中世「奥の高野」と称せられた霊場。千二百年前の天台宗延福寺、八百年前には臨済宗円福寺、四百年前には臨済宗瑞巌寺が創建され千二百年の歴史を有しています。奥大道の長い道のりを歩いて、やっとの思いで多賀の国府まで辿りついた古代の旅人は、さらに松島へ行くには細い急峻な山道を辿りながら、峠を幾重も幾重も越えねばなりませんでした。利府の山道から長老坂を経て、西行戻しの松の峠を越え、ふと眼下を見ると、そこには紺碧の海と緑の島々が広がっています。まるで弥勒菩薩のおわす兜率天の浄土か、あるいは神仙が住むという東海の蓬莱の島々かというイメージを旅人は受けただろうと考えられます。そんなことを考えながらこの句に接すると、霧の中に供養塔を見出した時の何ともいえない神秘的な情景に思わず息をつめた朝子さまの姿が目に浮かびます。
  田の中を雪踏んでゆく無人駅
 宮城から福島へ入るとまた違った風景が展開します。学生時代帰郷する都度宮城と福島の風景の違いを実感したものです。場所はわかりませんが東北の荒涼とした雪景色が浮かびます。
  蕗の薹昔あそびし土手に萌ゆ
 心の原風景ともいえるものを見出したときの新鮮な衝撃が伝わってきます。
  如月の母逝く空のこはく色
  春の雪連山と野辺染め返す
  母の日や母のかたみを着て座る
  母上に万感の思いを込めてお別れをされたのでしょうね。所々に母上のことを触れた句がみえますね。
  国境のばら線に咲く夾竹桃
 国境を厳しく隔てるばら線、しかし夾竹桃が国境を隔てる人々の間を取り持つように可憐に咲いている。平和を願う優しい気持ちが伝わってきます。
  兄逝くや墓地まで続く花菜畑
 兄上は春爛漫の季節を前に亡くなられたのでしょうか。もっと生きていて欲しかった兄上、花菜畑の光景は忘れがたい兄上との永訣にそっと慰めを与えてくれたのでしょうか。
  パリつ娘の腰に短き初夏の服
 パリジャンヌの颯爽と町を闊歩する情景、それに一瞬驚いた大和撫子の対比で解釈すればいいのでしょうか。
  早蕨や峠の茶屋の店開き
 長かった冬も終わりをつげ、早蕨の季節。峠の茶屋の仕事始め。さあ春だ。今年こそはと心新たなスタート。さあ頑張るぞという気迫が感じられます。
  遠足やトトロの歌の弾む道
 うきうきした気持ちが伝わってきます。
  野仏の頬にコスモス揺れやまず
 何百年も一人ぼっちで立っている野仏に、コスモスは何を語りかけているのでしょうか。野仏も生のさやぎを楽しんでいるような、微笑ましい情景を感じます。
  金華山霧笛に動く鹿の耳
 鹿は人になっこい反面、神経質な動物。人と交流しながらも霧笛に神経質に耳をそばたてている情景が目に浮かびます。
   しばし俳句の世界を楽しませていただきました。私なりの空想の世界で読ませていただきました。これからもご健勝でさらなる作句活動をされますことを祈念申し上げます。
                平成十九年七月十六日
                 伊  達  宗  弘
「きたごち」同人
俳人協会会員
  安 達 朝 子 様