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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
「私の心の原風景ーパート4 」
2007年7月26日


 

4 今一番大切なこと

 さて、私は色々なことを話してまいりました。これらを踏まえながら今一番大切なことは何かについて私の考え方をお話ししてみたいと思います。
 戦後50年、日本は荒廃した国土のなかから一歩一歩血の滲むような努力を積み重ね、奇跡的な復興を遂げ、今では世界有数の経済大国として、物質的な豊かさを享受しています。その一方で私たちは清く美しかったふるさとの山河を失い、先人が営々と築き上げてきた歴史や文化を無造作に忘れ去ってきました。
 子供の頃私たちは、清らかな川で魚と戯れたり、乱れ舞う赤トンボの下を大自然の恵みを受けながらより明るい明日を信じて元気に走り回っていました。今とは比較にならないほど貧しく、苦しい日々の生活でしたが、豊かな自然と温かく優しい大人たちに見守られ、伸びやかに幼い心をはぐくんできたのです。
 私たちの世代は、「あなたのふるさとは」と聞かれたとき、ふるさとについてしっかりと語り、その美しく豊かな山や川、心躍らす祭りや風情ある町並み、幼なじみの友の顔をすぐ想い出すことができます。
 大人になって、ふるさとを遠く離れる人もいます。しかし異境に暮らす人も、ふるさとで生活する人も、ともに私たちの世代の多くは、自分たちの精神的な基盤であるふるさとの原風景を、きちんと胸に刻み込んでいます。これは、たいへん大切なことです。生活や仕事に疲れたとき、あるいは困難に直面したとき、また挫折しそうになったとき、自分のふるさとを持っていることは、何よりも得がたい力の源泉となります。
 このみちのくに生まれ育ったからには、かりに生涯をどこで終えようとも、自分たちのふるさとみちのくがいかに香り高い歴史と文化をはぐくんできたか、次の世代の子供たちに正しく伝えていきたいと思っています。
 国際化や情報化が進めば進むほど、私たちは自分の拠って立つ生活の基盤である、ふるさとの歴史や文化を知り、それを心のなかに持ちつづけることが大切です。そうしてこそ初めて自信を持って、一つひとつの物事に対応していくことができるのではないでしょうか。
 日本は経済的にも大変厳しい状況にあります。これから子育てにお金のかかる世代の人たちが無造作に職を奪われ、また夢と希望を持って仕事に就き社会生活を送らねばならない新卒者が思ういように職を得ることができない、こんな大変な時代になってまいりました。過日産経新聞を見ていたら、優秀賞をもらった次の詩が、紹介されていました。お父さんというタイトルでした。
    お父さん 田原智子
  もういいんだよ 働かなくて
  リストラは 神様がくれた 休養だと思って
  ゆっくりして下さい
  焦らなくていいんだょ  仕事を探さなくちゃな
  そうつぶやく  父の背中に
  言いようがない さみしさがにじんでいる
     仕事しかなかった人生に
    「家族」を加えて
  いきましょう   ねぇ、お父さん。
 何か胸にじーんと来るものを感じました。
 私が、感銘を受けた俳句に次のような句があります。
  春の夜に 人と生まれし 泪かな
 これはたぶん自分の子供の寝姿を
見ながらこの子どもは、どんな人生を歩むのだろうか、哀しいこと、辛いこと、苦しいこともあるだろうな、幸多い人生を歩んで欲しいと願う親心を詠んだものだろうと思います。
 昨年私の住んでいる登米の城址公園に、みちのく主宰者の原田青児先生の句碑が建立されました。その句碑には、次のような句が刻まれていました。
  淋しさは帰燕の空のある限り
 生きていくことは、いつも何か淋しさが伴うのではないでしょうか。数年前歌人の扇畑忠雄先生の米寿のお祝いにお伺いしたおり先生から頂いた色紙に次のような歌が詠まれていました。
老いてなお美しきものを我は見ん
         若かりし日に見えざりしもの
 ご高齢の先生は、いつも初々しい気持ちで生きと生けるものに接しているからこそ、人の心をうつ短歌を読み続けられることができるのだなと、感銘を受けました。
 私の好きな西行の和歌です。
  さまざまのあはれをこめて梢ふく
          風に秋知るみ山辺の里
 これからみちのくの山河は、厳しい冬にむかいます。この1年、健康には十分気をつけられ、私と共に先人がふるさとの大地に刻んだ歴史と文化を辿って頂ければと思います。