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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
「自然環境の変化と無理心中」
2007年8月27日


 

 最近、家の周囲の草木にも大きな変化が見られる。地球温暖化の影響だろうか。10年前までは宮城を北限とするユズリハをはじめキンモクセイ、タラヨウ、ヤツデなどは実生で生えることはなかった。いまは家の周囲のいたるところに見られる。シュロは20年ぐらい前からかなり見られるようになり、大きくなったものもある。今年はメタセコイヤの実生を多数発見した。
 カエルも激減している。カエルは肌を露出しているため住みにくくなってきているのだろうか。地球温暖化に関する情報が錯綜して流されている。正しそうなのもあるが変なのもある。北極海の氷が溶け水位が何メートルも上昇するなどがその類だろう。北極の氷は水に浮いており海面に顔を覗かせているのは一部だ。氷は溶ければ水になる。何メートルも海面を上昇させる氷はどこに隠されているのだろうか。いつも疑問に思っていたらある学者のレポートにそれが偽りの情報であると書いてあり、「そうだよね」と長い間の疑問が解けた。よくわからない情報が乱れ飛びみなそれに飛びついている。糖尿病を克服する方法、癌予防、ここ何十年もこれが決め手の情報が乱れ飛んでいるのは、結局は効果がなかったからだろうとつい考えてしまう。いまは秋野菜の種撒く時期。レタスは種の上には土をかけない。新聞紙のようなもので種を隠してやる。いまだとすぐ芽が出る。シソも同じだ。
 さて今朝の新聞を見ていたら介護疲れの娘が母を殺し、無理心中を果たそうとしたが果たせず殺人容疑で逮捕された。うまく死ねればさんづけ、生きてしまえば呼び捨て、本当にそれで良いのだろうか。この娘にとっては母のためにも自分のためにも、選択肢は死だけしかなかったほど追いつめられていたのでは。一命をとりとめたことで娘は人殺しの十字架を背負い生きていかねばならなくなった。娘を死に追いやる前に、母は自らの命を絶てなかったろうか。たぶん寝たきりで自分で何も出来ず、結果的に娘を人殺しにしてしまった。母は死ぬことが本望であったろう。
 母親は死ねて良かったが、娘はこれからどうして生きていくのだろうか。娘はさっさと自殺して、母親のことは国にでもお願いすれば良かったのではとも考えてしまう。この娘は責任感があったのだ。母を一人にして残せない。皆にご迷惑をかけると。その責任感が結果として人殺しの十字架に結びつくとすればこれは悲劇である。

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