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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
「エッセイ想い出ー4」
2011年12月29日


 

 朝一番で、町の古いお付き合いのある松本時計屋さんから電話があった。「だいぶ時間がかかりましたがお預かりしていた時計の修理が終わりました。何時でも結構ですからお渡し出来るようにしておきます」。2年前家の掃除をしていて50年以上前まで茶の間にあった古い時計を探しだし修理を依頼した。ゼンマイ式の時計でガラスは壊れ、ゼンマイも動かない状態であった。不可能だろと思いながらも未練がましく店に持参した。しばらく時計と睨めっこしていた店主が、「時間がかかりますがやってみましょう。長い間時計屋をしているので足らない部品は必ず見つかると思います」と。
 この時計には私の思い入れもある。茶の間で家族の会話を聞きながらズーと私たちの家の歴史を見守ってきたのだ。明治・大正・昭和という激動の時代を。悲しみも喜びも私たち家族はこの時計と共に時を刻んできたのである。古くなったからといって捨てられる道理はない。私は箱に入れ倉庫に入れておいた。経済的なゆとりが出たら修理をするからねと。気にかかりながら時は流れた。いま脈々と引き継がれた技術を持った人のいる間に直せるものなら直しておきたい。私の予想は的中した。ない部品は何とか倉庫から見出し工夫をしながら時には他の部品を加工しながら修理をしてくれたのだ。その時私は思ったのである。これが日本が世界に誇る職人技なのだと。経費は実費にも満たない額で申し訳ない気持ちで一杯である。
 家に持ち帰り祖父の部屋に掛けた。時を刻む100年前の音が心地よく部屋一杯にかすかに聞こえる。50年の時を超えて私の家の時計は蘇ったのである。素晴らしい技術を持ったこの時計屋さんが健在なうちに博物館に預かっている小さいけれども美しい置時計も直してもらおうと考えている。
 もう一つ気に掛かるものがある。母が嫁に来るとき持参したシンガーミシンである。戦後の混乱期私たちの着るもの一切を作り出してくれたこの魔法のミシンをそのまま捨てるわけにはいかない。毎晩遅くまで働き続けてくれたミシンである。置く場所が無くやむを得ず蔵の隅に置いているが、何とか日の目を見せたいものである。
 古いものを無造作に捨て去る気風があるがはたしてそれでいいのだろうか。私は時々家で出た廃棄物をクリーンセンターという処理施設に直接持って行くが驚くことも多い。ある時明らかに嫁入りの時に持参してきたであろうタンスが一式あった。空だろうと思って引き出しを開けてみた。着物や日記が整然と入っていた。引き出しの中味はみな綺麗に収納されていた。このようなものを無造作に捨てるのはまるで亡くなった人の想い出を消去するかのように、中味も見ることなく廃棄したのだろう。死んだ人が哀れに思えてならなかかった。
 母が亡くなって3年になるがまだ母が使用した部屋もタンスもそのままにしてある。私の家では祖父も祖母も、父も母も蘇ってきてもそのまま日常生活が不自由なく営まれるのではないかと思われるほど、古いものを大切にしてきたが、それは大変なことでもある。でも伝統や文化はそうした営々とした営みの中から生まれてくるものであって、一朝一夕に生まれてくるものではないと思う。
 生前、祖母や父そして母が「岩出山と北海道伊達市の伊達家を大切にするように」と口癖のように言っていたが、それは家の歴史や伝統文化を大切に守り育ててきた気風をいまに伝える数少ない親戚の一つであるからだと思う昨今である。