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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
「エッセイ想い出ー5…時を刻む」
2011年12月30日


 

 起床してすぐ離れの祖父の部屋の中を覗いてみた。「カチカチ」昨日、修理から帰ってきた古い時計の時を刻む音が聞こえる。ここ数十年懸け時計の時を刻む音とは無縁の生活をしてきた。時計を動かす仕組みが電池に変わってから久しい。時を刻む時計の音を聞かなくなってから、私は日々の大切な時間をともすれば無意識に過ごしてきたのではないだろうか。
幼かったころから時々父がゼンマイに機械油を注入し、時計の外側を乾いた布巾で掃除し、母が毎朝丁寧にはたきでススを払っていた情景が目に浮かぶ。この時計の仕組みを目の当たりにしながら、人間の創り上げた文明の利器の素晴らしさに子供心にも感動した。当時は物を大切にしていた時代である。私の家は家具も茶器も柱も畳も当時のままである。 毎朝お線香を手向け、神棚を拝み、隣接する廟を参拝する日常生活を送っているが、特に特定の宗教を信じているわけではない。昔はどの家もそのような生活をしていた感じがするが、いまは少なくなっているのではないだろうか。
 2年前隣接する東和町で「鎮守の杜と日本人の心の原風景」をテーマで講演をした。
 きっかけはこの町の特に米川を中心とした歴史を愛する人たちがそれぞれの家にあるお明神様の調査をして、それを写真におさめ記録として残す作業が一段落した機会に企画されたものである。私は自然崇拝から天孫降臨、稲作文化の普及によっていまの日本人の心の原風景や四季折々の行事が形成されていく過程について、画像を使って分かりやすく説明、それぞれの家にあるお明神様の存在の意義を話した。
 この時いろいろな人たちと話しをし現地を案内してもらったが、皆一様に語っていたのは、お明神様や先祖を大切にしない家は例外なく衰微していっているということであった。驚いたことにいまでも家によっては立派な木造のお明神様を造っている家があるということも聞き、何枚かの写真も見せてもらった。また朽ち果てたお明神様の写真から、その家はいまはあまり良い状態でないということが想像された。
 私の家にもお明神様はあるが、昭和40年代私が修理して以降荒れ果てたままである。ご神体は移したが建物は傾き朽ち果てている。私の家の家訓である分相応に、見栄や虚栄を張らないようにを、自分の修繕をしない正当性を裏付ける根拠としてきたが、時間ができたら家に保存してきた古木を使って、手づくりのお明神様を造って差し上げようと考えている。
 外は雪が降っいる。三脚を持ち出して植木の手入れのつづきをしよう。春は間もなくやってくる。