トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
「日本の国のかたちーパート1」
2012 年4月22 日


 

 倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣山隠(ごも)れる 倭しうるはし(中略)愛(は)しけやし我家(わぎへ)の方よ 雲居立ち来も『古事記』
(大和は日本中で最も優れた真秀(まほ)の国だ。重 なり合う青い垣のような山々に囲まれた大和は美しい。ああ懐かしい我が家の方から雲が巻き起こってくるなー。)
 朝夕風月にうそむき、歌を詠ずるばかりなり。柿本人麻呂
 (明けても暮れても風月に思いを寄せ、歌を詠ずるばかりである。)
 あまの原ふりさけみればかすがなるみかさの山にいでし月かも 『古今和歌集』阿部仲麻呂
 (はるかなる空の月を見ると、春日の地にある山に出た月のことが思い出される。)
 やまとうたは人の心を種として、よろずのことの葉とぞなれりける。力も入れずして、雨土を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、おとこおんなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは歌なり。紀貫之 『古今和歌集』序文
 何と美しく心豊かになる古典の一節でしょうか。どうして日本には千年以上前のこうしたものも数多く残っているのでしょうか。いまイギリスやフランスや中国で「五百年前活躍していた女性は」「五百年以上前の文学を紹介して下さい」といっても、ほとんど出てこないのではないでしょうか。出てきたとしても彼女らの詩や文学書などは残っているのでしょうか。
 中国二千年、三千年の歴史といわれますが、中国は王朝と民族が変わっており、その都度大量の破壊が繰り返され、伝統文化の継続はありません。中国の代表的な古典劇「京劇」は清代に作られたもので数百年の歴史しかありません。それに対し日本は万葉の時代から今日まで脈々と様々なものを一貫して生成発展させてきた世界唯一の国です。どうして日本だけがこうしたものをジャンルとして語れるほどの蓄積を持ってきたのでしょうか。
 第二次世界大戦で日本の敗戦が濃厚になった昭和18年パリで、大正10年から昭和2年にかけて駐日大使を務めた詩人のポール・クローデルは、「日本人は貧しい、しかし高貴だ。世界でどうしても生き残ってほしい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」と発言しています。
 大正11年来日した、アルバート・アインシュタイは伊勢神宮を参拝したあと「近代日本の発展は、世界を驚かせた。一系の天皇を戴いていることが、今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が、世界の一箇所くらいなくてはならないと、考えている」と語っています。
 また英国人作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) は、日本の印象を次のように語っています。
 「自然と人生を楽しみ、愛すという点で、日本人の魂は、古代ギリシャ人の精神と不思議に似ているところがある」。
 エッセー『極東初日』に 「その朝、わたしが最高に嬉しく思った印象は、日本人がわたしを見つめるまなざしが、驚くほどやさしかったことだろう」と記しています。 ハーンの心をとらえたのは日本人の微笑でした。西洋人にとって不思議に映るこの微笑は、実は日本人の精神の豊かさ、さらには「日本の文明は、物質的には発展途上国だが、それだけ道徳面では、西洋文明よりはるかに進んでいる」ということの象徴であるというのが彼が至った結論でした。
 しかしハーンは急速な欧米化によって「微笑」が忘れ去られようとしてい日本を感じるようになりました。彼は「西洋人が古代ギリシャ文明を愛惜するように、日本の若い世代が過ぎ去った日本を愛惜するときがくるだろう。そのさい、最大の驚きは、昔の神々の表情であろう。なぜならその微笑は、かつての自分たちの微笑だったのだから」と記しています。
 ハーンは絶筆となる『日本』の中で、「日本が自分の先祖の信仰から、もはやこれ以上何も得るものがないと考えるのは、これは悲しむべき誤った考えである。日本の近代における成功は、ことごとくこの力によって助けられたものであると同時に、日本の近代における失策は、すべてみなこの国の倫理上の風習を必要もないのに破棄したために起こったこともあきらかである」と語っています。  さていま私たちを取り巻く環境は大変殺伐とし、また閉塞感も漂っています。こうした中で一番大切なことは、日本の歴史や文化をしっかりと再確認することではないでしょうか。それがあってはじめて力強く生きることができまた堂々と世界へ伍していくことができるのではないでしょううか。こうした視点で日本の歴史や文化の基層に迫ってみたいと思います。(これは、多賀城史跡案内サークル会報『いしぶみ』編集責任者 大山真由美に連載したものです。引用・参考文献 『名言で読む日本史人物伝』(新人物往来社)