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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
「日本の国のかたちーパート7ー東日本大震災に見る日本人の心2ー」
2012 年5月10日


 

 私はこの東日本大震災を通して、素晴らしい日本人の気概に触れることができた。
 その一つが「NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク」の活動である。詳細については新聞報道などでその活動のほんの一部は報道されている。大震災で登米の菩提寺にある先祖の位牌がおさめられている開山堂が、壊滅的な被害を受けた。登米伊達家も時代の流れの中で没落の一途を辿ったが、その中でお位牌堂だけは往時の姿を奇跡的に今日に伝えてきた唯一のものである。荘厳なお位牌堂の中には、先祖の一人一人のお位牌が独立した入れものに納められそれぞれが扉を開けて整然と並べられていた。四百年の時を経て現在に伝えられてきた唯一の拠り所であり、登米伊達家の原点でもある。位牌堂の中に無残にも散乱した状況を見たとき、私の誇りとしてきた拠り所そして心の支えは失われ愕然とし、しばし呆然と位牌堂の前に立っていた。その夜、ネットワークの会員のお一人から「被害はありませんか。何かお手伝いをすることがありませんか」というメールをいただいた。すがる思いで現況をお伝えした。間もなくNPO法人宮城歴史資料保全ネットワークのみなさま方がおいでになり菩提寺の養雲寺の位牌堂でホコリにまみえながら壊滅状態の位牌とそれをおさめた箱三十数名分に整理して、順序に棚の上に置いてくださった。一連の作業を拝見したが、来られる前にすでに登米伊達家の系図を調べ故人ごとのデータを整理され作業に着手してくださったのだ。私以上に先祖のことを調べ上げて作業に取りかかってくださったのだ。ただただ頭の下がるような献身的な作業の様子であった。
 宮城歴史資料保全ネットワークのみなさま方のお力添えに、いまは感謝の気持ちで一杯である。朝早く仙台から80キロメートル離れた登米に手弁当で来られ、ほこりまみれになりながら作業をしていただいた先生方には何とお礼を言っていいか言葉が見あたらない。このときいただいたご恩は子々孫々しっかりと伝えていかなければならないと思っている。
 あの時点で整理をしていただかなかったら、今頃はゴミのように扱われ埋もれてしまったのではないかと、速やかな対応に改めて感謝している。時間がかかるかも知れないが、後世に残すように努力することが私のつとめでもあると再確認した。いろいろな場所で献身的なレスキュー活動をされている一方で、さまざまなシンポジウムなどを企画され、日本人の心の再生、未来へ向けた貴重な文化遺産の継承にご尽力をされていることは素晴らしいことであり、私はあの時の感動を決して忘れてはいけないと考えている。日本が世界に冠たるさまざまな文化遺産を今日まで継承してきた背景には、それぞれの時代を生きた先人の叡智、歴史や文化に対する尊敬と愛情、ひたむきな使命感があったればこそと改めて真摯な作業状況を見ながら再確認したところである。ともすれば物質的な豊かさや、経済的な打算、成果主義が優先されがちな時代だが、そうした時代の中でまさに超然としたお立場で地道な活動を展開されている皆さまのことは、私は決して忘れないことだろう。
 古いものを継承していくことは大変なことであるが宮城歴史資料保全ネットワーク方々のご尽力によって多くの人たちが、歴史や文化を守り継承することの大切さを覚醒させられたか計り知れないものがあると感じている。
 とかく多くの人々の目は復興の名のもとにハード面に目を向けがちであり、政治や行政は超長期的な視点でものを見て判断する能力が欠けており、特に日本では欠如しているのではないのかと何時も感じている。そうした一番大切な部分、政治も行政も見落としている分野に目を向け果敢な活動を展開し積み重ねられていることは、長期的な視点で見れば日本の復興、地域の再生には一番大切なことではないかと考えている。
 宮城歴史資料保全ネットワーク皆さまをはじめ多くの皆さまがボランティアとして各地で各分野で活動を展開されている。利害打算を抜きにしたこのような崇高な活動の積み重ねは、時間がたてばたつほど高い評価を受けていくと私は確信している。
 多くの人々の目はまだまだ目先のことに目がいきがちであり、それは致し方ないことだとは思うが、いち早くこのよう活動に取り組まれた、時代を俯瞰した洞察力と実行力に改めて敬意を表している。日本は日本人の心は強くたくましく再生すると確信している昨今である。
(これは、多賀城史跡案内サークル会報『いしぶみ』編集責任者 大山真由美に連載したものです。)