一昨年、3女の惠子姉が亡くなり、昨年は次女の篤子姉が亡くなった。いつかは訪れる別れではあるが寂しい気持ちで一杯だ。いろいろな思い出が脳裏をかすめる。惠子姉の思い出を書こう。私は、上が女性4人で長男の私、弟と続く姉弟(きようだい)である。私と惠子姉とは6歳の年齢差である。母が語った姉は、長女は裁縫が得意で、戦後の混乱期には母を助けて私たちの幼かった頃、オーバーなど身に着けるものをセッセと作って家計を支えた。これに対し篤子姉は、畑仕事などで母を支え続けてくれた。一風変わったのは惠子姉である。小さい頃から妹や弟を集め、手振り身振りを交え『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』を読んでくれた。時には声を変え時には優しく、時には怖く身振り手振りを交えながら話してくれた。妹や弟が畏まって聞いているのを、嬉しそうに眺めながら話してくれた。姉は密かに学校の先生になることを夢見ていたのだろう。残念ながら経済的に苦しい私の家では大学へ進ませることはできなかった。勉強好きの姉はあきらめきれず当時学資のほとんどかからないエックス線技師学校に進んだ。卒業後は大学病院に勤めた。そして紹介する人があり東北大学の講師をしていた国分振と結婚し、一時期新潟で生活した。学生時代従妹と2人で新潟を旅した。兄の家に泊めてもらつたあと2人で佐渡へ向かった。兄夫妻からは新潟港の朝市などいろいろなところ案内してもらった。楽しい想い出である。兄はその後東北大学の教授になるが、宮城県職員として勤務していた若かりし頃、残業で遅くなった時などは、太白区人来田の家に何度も泊めてもらった。3人姉妹の姪たちにも世話になった。ほろ酔い加減で訪ねたが、酒の準備がしてありついつい飲んでしまった。大変お世話になった惠子姉夫妻である。その時いただいた御恩は忘れない。
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