トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
2002年2月14日


 私たちの住むみちのくの山々は、神宿る山であり雲の生まれるところであり、また水を涵養し、豊かな幸を私たちにもたらしてきました。

 山の彼方には、見知らぬ豊かな世界が広がり、古くから人々は山の彼方にあこがれていました。いつの時代も、人々は山を越えようとしました。物資の輸送や信仰、さらに戦争のため山を切り拓き、道を取り付けてきました。こういう営々とした営みの中で峠が誕生しました。「峠」という字は漢字ではなく、「山の国」日本人の感性がつくりあげた会意文字です。

 峠を越えることほ未知の国への旅立ちであり、自分と家族や故郷との別離を意味し、常に危険と隣り合わせであり、無限の可能性へ向けての第一歩でもありました。

 峠には、もののけが潜み人に災いをもたらすと信じられ、峠を通過する際には、峠の神に小枝や着物の袖、花などを捧げ、行路の安全を祈りました。「万葉集」には、次の和歌が詠まれています。

 周防なる磐国山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道

 峠に立つと、今までとは違った景色や風に出会うことがあります。峠を越えることは見らぬ国へ足を踏み入れることであり、これまでの自分や家族などさまざまなしがらみから自ら解き放すことであり、「心の転折」の場でした。

 世界的な冒険家イサベラ・バードは、1978年(明治11)7月宇津峠を越えて米沢に入りました。「私は、日光を浴びている山頂から、米沢の気高い平野を見下ろすことができて、嬉しかった。米沢平野(置賜盆地)は、長さ約30マイル、10ないし18マイルの幅があり、日本のアルカデヤ(桃源郷)である(日本奥地紀行)」と絶唱しています。彼女は、宇津峠を越えたことにより、心の「転折」を得たのです。

 このような峠も、新しい道が、トンネルが掘られることによりその存在意義を急速に失い過去のものとなりつつあります。しかし峠は、それぞれの時代、さまざまな歴史を積み重ねかたちつくられてきたものです。

 峠は、これからもその時代時代にふさわしく装いを新たにしながら、私たちに限りない夢と希望と心の転折を与え続けてくれるのではないでしょうか。

 私たちの歩んできた人生を振り返づても、私たちは夢と希望をもってたくさんの山を越えてきました。時には挫折しそうになったり、くじけそうになったことあったと思いますが、歯をくいしばりながらそれを乗り越えてきたのではないでしょうか。

 これからも私たちの前途にはたくさんの山がたちはだかっていることでしょうが、私たちは何も恐れることなく、果敢に山を越えていかねばなりません。そして峠に立ったときは、今までとは異なった景色を眺め、新鮮な空気を胸一杯吸い込んで、自信と誇りを持って前へ前へと歩んでいかなければならないではないでしょうか。