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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
羽州街道・その3(金山〜大曲)
2002年10月12日


 羽州街道を北上し、金山宿、及位宿にさしかかります。
 金山の名は金銀の鉱山があったことに由来し、金山杉の美林で有名です。及位は今の真室川町の北東部に位置し、及位の地名は山岳修験の修行方法に由来するといわれています。
 雄勝峠には七色木という槻の木の名木があり、秋田藩の家臣が江戸へ初めて登るとき、この槻の木の根元を回ってから峠を越しました。道中の安全と任務の遂行そして異郷へ旅する万感の思いを込めて、この峠を越し旅路についたのです。

 雄勝峠を越え秋田藩に入ると羽州街道も他大名の通行はほとんどなく、領内道の性格が強まります。南の雄勝峠から北の矢立峠までは六十三里(二四八キロ)あり、慶長年間、佐竹氏入部から開削、整備が進められました。藩内の羽州街道は距離も長く、宿駅は下院内宿から始まり湯沢・岩崎・横手・金沢・六郷・大曲・花館・神宮寺・北楢岡・刈和田・淀川・境・和田・戸島・久保田(秋田)城下・湊町・大久保・下虻川・大川・一日市・鹿渡・森岳・檜山・鶴形・飛根・荷揚場・小繋・今泉・前山・綴子・川口・大館・釈迦内・白沢・長走と続きます。その間、他藩と同じように間宿や人馬を共同で負担する合宿等がありました。

 雄物川上流域に位置する院内(秋田県雄勝町北西部)は、江戸初期に発見された院内銀山の鉱山町として栄え、最盛期には人口二万人を数えましたが、一九二一年(大正一〇)休山以降衰退の道を辿りました。最初の宿駅である下院内宿には本陣が置かれ、隣の上院内宿に関所が置かれていました。鬼首峠越えの仙台領からの街道が羽州街道に合流する横堀町には藩の役所があり、交通の要衝で院内宿への伝馬役を負担していました。

 湯沢は、中世からの城下町で一六一九年(元和五)に山城が破却され、近世南家佐竹氏の城下町として発達した要地で、院内銀山への物質供給の中継地として栄えました。この時期に現在の産業の基盤がつくられ、良質米と水に恵まれた酒造業は、東北の灘として著名です。良質な木材が産出され、製材、木工業も盛んで、ブナ材の曲木加工製品は外国へも輸出されています。また、近世に起源をもつ伝統行事である湯沢三大祭として、七夕絵灯籠祭り、大名行列、犬っこ祭りも催され、南東部の栗駒国定公園には泥湯温泉、川原毛地獄、三途川渓谷などがあります。

 岩崎(湯沢市)は、皆瀬川が雄物川に合流する地点にあり、江戸時代には渡しとして重要な役割を果たしました。中世この地を支配した岩崎氏の城跡、源義家が鐙を献じたとされる八幡神社があります。

 さらに進むと十文字新田に差しかかります。羽州街道と小街道の交差点に位置し、人家もなく狸が出て人々を騙したといわれます。そこで一八一一年(文化八)増田の住職が、「左ハ湯沢、右よこて、うしろハます田、まへハあさ舞」と刻んだ碑を立て道標とし、まもなく一軒の茶屋が建ち、以来交通の要衝として集落が形成されたといわれます。南部を流れる皆瀬川は白鳥の飛来地として知られています。

 横手宿(横手市)は中世小野寺氏の居城の地で、近世は佐竹氏支城の城下町として羽州街道の宿場町として栄えました。
 北方には後三年の役(一〇八三〜八七)の古戦場として知られる金沢柵跡があります。源義家軍が、清原家衡・武衡を打ち破った所で、付近には義家が、雁が列を乱して飛び去るのを見て敵の待ち伏せを見破った立馬郊など数多くの史跡が残っています。柵跡に建つ金沢八幡宮は義家の戦勝を記念して建立されたものです。

 横手市内には八〇七年(大同二)坂上田村麻呂の勧請による梵天奉納祭が行われる旭岡山神社や、遠く鳥海山を眺望することのできる横手城跡があります。奥羽山脈と出羽山地の間にある横手盆地は、雄物川とこれに注ぐ玉川、横手川、皆瀬川など多くの支流によりつくられた我が国を代表する盆地で大曲市、横手市、湯沢市などの都市を育み、有数の米産地として知られています。
 雄物川に沿って秋田城下に向かうと大曲宿(大曲市)に差しかかります。羽州街道の要地として、雄物川に玉川、丸子川が合流し舟運の基地として栄えたところで丸子川沿いに蔵宿、大納屋が並び、藩御用舟もあるなど大いに賑わいました。

 大曲市には、奈良時代、日本海沿岸の越の国を平定した「越王」に因む古四王神社があります。秋田市内の古四王神社と並ぶ秋田県の代表的な神社です。一五七〇年(元亀一)飛騨の工匠によって造られたこの神社は、本殿は入母屋造・千鳥破風・妻入の一間社で、釘一本も使わず、玄関などには当時の作風にこだわらない自由な意匠もみられ、建築学上貴重な建造物です。

 羽州街道から外れますが近くには、「みちのくの小京都」といわれる角館があります。横手盆地北部、檜木内川と玉川の合流点に位置するこの町は、中世に戸沢氏が城を置き、江戸時代に葦名氏、佐竹北家の城下町として栄えました。秋田蘭画の小田野直武、近代日本画の平福穂庵・百穂父子など画人を輩出した町として知られ、平福記念美術館があります。また重要な地場産業である樺細工は山桜の樹皮からつくられ、伝統的工芸品に指定されています。一九三三年(昭和八)今上天皇誕生を記念して植栽された二キロ余りの桜並木は訪れる多くの人びとを楽しませ、「桜名所百選」に選ばれています。