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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
峠・その4(鬼首峠・猿羽根峠・山刀峠)
2002年11月16日


 鬼首峠は、最上仙北街道(宮城県・秋田県)にある峠で、前九年の役の顛末を書いた戦記物語である『陸奥話記』によると、「永承五年(1050)陸奥守藤原登任に勅して夷酋安倍頼良を討たせる。登任、秋田城介平重成とともに頼良と鬼切部で戦い敗れる」とあります。

 古代奥羽の霸者安倍氏討伐の前九年の役(1056〜62)の前哨戦となる合戦場、鬼切部(鬼功部)が現在の鬼首ではないかとされています。朝廷は源氏の棟梁源頼義を陸奥守鎮守府将軍に任じ、清原氏の援軍を受けて安倍氏を滅ぼしました。それから20年を経て行われた後三年の役(1083〜87)の結果、平泉藤原氏の台頭をみますが、この周辺には、大鎧山、軍沢岳の名にみられるように古戦場の跡が散在しています。

峠の宮城県側は、轟、神滝、宮沢、吹上、荒湯などの温泉場があり鬼首温泉郷を形成しています。各所に間歇泉や地獄現象も見られ、雌釜および雄釜の間歇温泉、そして片山地獄の一角には鬼首地熱発電所があります。

 猿羽根峠は、山形県の最上と村山を分かち奥州街道の伊達郡桑折(福島県)から分岐して羽州地方を経て青森に至る羽州街道の難所として知られ、峠の猿羽根地蔵尊は縁結びと延命二つのご利益によって広く信仰を集めました。

  猿羽根峠のぼりきはめてひと時を
      汗はながれていにしえ思ほゆ 斎藤 茂吉
  祭来と幟立ちたる猿羽根越ゆ     細田 恵子
  猿羽根越ゆ父の骨抱く片時雨    久保田陽子

 猿羽根山は公園化され、地蔵尊のある峠付近には左右対になった一里塚跡があり、藩政時代の御境石碑があり、近くには天領でもあっ た尾花沢があります。尾花沢の名の由来は、租税に鷲や鷹の尾羽根を納めたことに由来するといわれ、史跡延沢銀山遺跡があり、銀山温泉の地として、「花笠踊り」発祥の地といわれています。

 峠の地蔵尊は縁結びと延命二つのご利益を求めて訪れる人も多く、山頂からは月山、葉山、鳥海山、そして最上川や村山平野が一望できます。

 山刀伐峠は、山刀伐越出羽街道にある峠で、一六八九年(元禄二)五月松尾芭蕉は曽良をともなって尿前の関(宮城県鳴子町)から中山峠を経て辿りついた峠です。老杉の根元には地蔵尊があり、昔から、峠の子持地蔵尊として、敬われてきました。芭蕉たちが太平洋側から初めて出羽の山を越え日本海への道に進む境目にあり、お堂の側には加藤楸邨の筆になる奥の細道山刀伐峠の石碑があります。

 「高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて
             夜行くがごとし」 『奥の細道』
  山刀伐るや水得しごとき朴の青   松本 雨生
  山刀伐峠かくも暑き日祠神      原   裕
  峠路といへども続く木下闇      清崎 敏郎

 堀切峠は、新潟県と山形県の境にある念珠ケ関(鼠ケ関)から内陸部に入った出羽街道にある峠です。鼠ケ関は義経、弁慶主従の北行をはじめとしさまざまな歴史に登場する名所です。

  日盛の松影落す鼠ヶ関        斉藤 夏風
  光る石ひろひ晩夏の念珠ヶ関    久保千鶴子