トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
四季彩彩−登米地域讃歌− 水辺の回廊
2003年1月11日


  やはらかに柳あをめる北上の
     岸辺目に見ゆ泣けとごとくに (石川啄木)

 この地域を語るとき忘れられないのは、水辺と人々との関わりです。大河北上川をはじめ迫川、夏川、伊豆沼・内沼、長沼、平筒沼など多くの水辺が展開します。

 人々はこの水を利用して豊かな田園を拓き、また川は交通路として利用してきました。大河北上川は、藩政時代石巻と盛岡を結ぶ交通の大動脈として物を運び文化を伝えてきたのです。しかし、大雨で膨れ上がった水の塊が、堤防を壊し家を押し流し、一瞬にしてもとの荒地にしました。しかし人々は再び黙々と鍬を荒地に打ち込んできたのです。水辺で生活をする人々の歴史は洪水との戦いの歴史でもありました。その戦いの中から今の豊穣大地が築かれてきたのです。

 四百年前の開拓時代に築かれた相模土手や悲しい伝説を今に伝えるお鶴明神(中田町)。天明・天保の飢饉のとき、南部藩の流民を大量に受け入れ散田足軽として開拓に従事させ一人の餓死者も出さずに美田をつくり、いまも二つ屋の人々の尊崇を受ける換山神社の物語(豊里町)。この地にまつわる人々の物語りは多く伝えられています。

 北上川と旧北上川が分れる鴇波洗堰(豊里町)や今も生活にとって欠かせない津山町柳津と豊里町鴇波の渡しの船は、ありし日の水辺の生活の一端を垣間見させてくれる一幅の山水画です。また東和町鱒淵川のゲンジボタルは、夏の夜の一時を幻想の世界に私たちを誘ってくれます。

  蛍飛ぶみつの小島の旅人は
     都を恋ふる玉や浮くらむ (壬二集 藤原家隆)