トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
歌枕・俳枕を行くー宮城1(蔵王・武隈の松)
2003年8月13日


    伊達の大木戸を越え宮城に入ると左方に大きな山並みが見えてきます。古くは人忘山といわれた蔵王の山々です。最高峰熊野岳は1841メートルで南北30キロにおよぶ火山群で、江戸時代にもしばしば大噴火を起こし多くの人びとに畏敬されてきた山です。直径300メートルのお釜は火口湖で、強酸性のため生物は生息できませんが、太陽の移動で日に何度か湖水の色を変えることから五色沼ともよばれ、訪れる人びとの目を楽しませてくれます。蔵王山の名は、中世山岳修験の信仰の対象として吉野(奈良県)の金峰山から蔵王権現を勧請したことに由来すると伝えられ、麓の蔵王町宮には白鳥伝説で知られる刈田峰神社があります。『続日本後紀』844年(承和11)の条には刈田嶺神の名がみえますが、古くから多くの人びとに敬われ、四季折々の変化美を味わえる山として知られています。
  足元の霧はなれゆく火口壁       大塚水仙女
 有耶無耶の関は、柴田郡川崎町の西端、山形市との境の笹谷峠頂上付近にあったといわれる古関です。名称については異説多く「いなむや」「いやむや」「もやもや」などがあり、『義経記』では「伊奈の関」とよんでいます。不明瞭で悶々とわだかまる心情を表すとき使われました。
  東路のとやとやとほりのあけぼのに時鳥鳴くむやむやの関 『 夫木和歌抄』
  うやむやの関やむやむや鬼人草     桃 隣
 武隈の松は、二木の松としても知られ、岩沼市、阿武隈川の北岸にあります。仙台藩の重臣で永代着座の格式を持つ古内氏8千石の城下町として栄え、日本三稲荷の1つ竹駒神社、能因を開祖とする竹駒寺そして武隈の松が近接して位置しています。「竹駒」は「武隈」の訛であるいわれていますが、1689年(元禄2)5月4日ここを訪れた芭蕉は『奥の細道』に、
  桜より松は二木を三月越し
の一首をとどめました。陸奥守藤原元善はじめ、橘季通、能因、 橘為仲、西行などがここを訪れ、秀歌・秀句をとどめています。
  身に沁むや実方塚の土の嵩   上野さち子