トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
歌枕・俳枕を行くー宮城2(名取川・笠島)
2003年8月15日


   名取川は、奥羽山脈中央部の二口峠付近に発し、ほぼ中間地点で碁石川を、下流端近くで広瀬川を合わせ広大な流域面積を有する川です。上・中流部では、両岸に急な山地斜面や段丘崖が連続し、最上流部から順に、磐司岩、二口峡谷、秋保大滝、秋保温泉、磊磊峡、太白山など豊かな自然が展開し、その名称から豊富な連想をよび、歌枕として古歌にも数多く詠まれてきました。『古今和歌集』にある壬生忠岑の「陸奥にありといふなる名取川なき名とりては苦しかりけり」のように「無き名(事実無根の噂)を取る」というたとえに使用しています。また、この川の名物の埋もれ木を詠み込み、同じく『古今和歌集』にあるよみ人しらずの、「名とり河瀬ゞの埋れ木あらはればいかにせむかとあひ見そめけん」のように隠れていた名(評判)が現れるといった詠みかたもなされてきました。一方で叙景的に川岸の紅葉を詠ったものもみられます。名取市植松には、全長168メートルの東北最大の前方後円墳・雷神山古墳をはじめ数多くの古墳があります。雷神山古墳は、5世紀前半ごろ、仙台平野一帯を統治した地方国家の首長の墳墓と推定され後円頂部には45・72メートルの三角点があり、名称の由来は後円部頂に雷神を祀る祠があることによります。
  名取河やなせの浪ぞさわぐなる
       紅葉やいとゞ寄りて堰くらん 源重之
  相生のまま傾きて松の芯      鷹羽 狩行
 笠島は名取市愛島にあり、藤原行成との口論から「歌枕みてまいれ」と陸奥守として左遷された藤原実方の墓のある場所です。辺境の地で客死した風流人実方を偲び西行は「朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯れ野の薄形見とぞ見る」と『山家集』にとどめました。それ以後「形見の薄」として都の人びとのみちのくへの憧れを一層高めました。芭蕉は『奥の細道』紀行で、この墓を見出そうとして見出せず「笠島はいづこさ月のぬかり道」と一句にとどめました。
  笠島のやませに吹かれ旅の髪   杉山 瑞恵