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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
イサベラ・バードの旅
2002年3月22日


 英国出身の世界的な冒険家イサベラ・バードは、1878年(明治11)6月10日東京を出て、粕壁、日光東照宮、鬼怒川、会津、新潟、小国、米沢、山形、新庄、横手、秋田を経て青森から津軽海峡を渡り北海道を旅し、9月17日函館から船に乗って横浜に帰着するまでの3か月にわたる大旅行を敢行、その旅の記録を「日本奥地紀行」としてまとめました。その概要を紹介します。

 6月24日鬼怒川ルートを北進、幾度も川を舟で渡り、峠を越えて会津盆地に出ました。山を越えるたびに視界は壮大なものとなり、会津平野の彼方には磐梯山が左方には飯豊山、吾妻山が聳え立っています。「これらの峰は、岩石を露出させているものもあり、白雪を輝かせているものもあり、緑色におおわれている低い山々の上に立って、美しい青色の大空の中に聳えている。これこそ、普通の日本の自然風景の中に欠けている個性味を力強く出しているものである。下を流れる急流の向かい側には、素晴らしい灰色の断崖が林立し、金色の夕陽の中に紫色に染まっている会津の巨峰の眺めは雄大であった」。山を越えて越後に入りました。「新潟は美しい繁華な町である。町は美しいほど清潔なので、よく掃き清められた街路を泥靴で歩くのは気がひけるほどである。街路には運河が交叉し、実際上の交通路となっている。運河は街路の中央を流れており、両側に広い道路がある。運河は街路よりずっと低く流れており、ほとんど垂直な土手は、綺麗な木材で覆ってあり、処々に階段がつけてある。川べりには並木があり、しだれ柳が多い。川水は柳の間を通り、運河を気持ちよいものとする。運河はこの町の非常に魅力ある特色となっている」と記しました。

 7月10日新潟を出発。前途に連なる大きな山岳地帯の山道を苦労しながら進み、玉川、小国、黒沢を通り、市野々に泊まり、朴ノ木峠、桜峠、宇津峠を越えました。「置賜盆地は、南に繁栄する米沢の町があり…全くヱデンの園である、鋤で耕したというより鉛筆で描いたように美しい。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカディアである」と記しました。赤湯を経て上山から新庄に出て羽州街道を金山に向かいます。「今朝新庄を出てから、険しい尾根を越えて、非常に美しい風変わりな盆地に入った。ピラミット形の丘陵が半円を描いており、その山頂までピラミット形の杉の林で覆われ、北方へ向かう通行をすべて阻止しているように見えるので、ますます奇異の感を与えた。その麓に金山の町がある。ロマンチックな雰囲気の場所である」。彼女はここに宿泊しました。

 朝早く金山を出発。駄馬一頭と車夫一人とともに北に向かいました。ひどい道路で、雄物川の上流に沿って院内まで山道を歩きました。その杉の並木道は美しく、湯沢から横手に向かいました。そこを出ると、非常に美しい景色が展開します。鳥海山が雪の円屋根を時々のぞかせています。秋田に滞在した三日間は忙しく、楽しく過ごしました。秋田は非常に魅力的で純日本風の町でした。彼女は社会事業に強い関心があったので、病院を訪れて立派な設備とすぐれた医療活動に感動しました。秋田を出発し土崎港、大館を経て白沢に二日滞在。白沢を出ると美しい景色が広がってきます。峰の側面から谷間まで見事な杉の林が続きます。絵のような眺めでした。山路が険しくなると、馬は進めなくなりました。長雨で地すべりがあり、道路が消えています。幸運にも馬車も通れる広い道に出られ、ゆるやかなジグザク道を上がると矢立峠に出ました。立派な道路を築き上げた日本政府の土木工事に感心、峠の景色は荘厳で、アルプスやロッキー山脈の峠にもまさって樹木が美しく輝いています。

 8月5日ねぶた祭りを見ました。「それは提燈というよりも、むしろ透し絵である。あらゆる種類の奇獣怪獣が極彩色で描かれている。それを取り囲む何百という美しい提燈が、あらゆる種類の珍しい形をしている。扇、魚、鳥、凧、太鼓などの透し絵がある。提燈の波は揺れながら進み、柔らかい灯火とやわらかい色彩が暗闇の中に高く動き、提燈をもつ人の姿は暗い影にかくれている。このようにお伽噺の中に出てくるような光景を私は今まで見たことがない」。彼女は、その感動を胸に黒石を出発して津軽坂を越えました。峠から見る灰色の青森湾を眺望、青森で汽船に乗り北海道に向かいました。長かった陸地旅行は終わったのです。